年齢が何歳だとか あまり考えないのだけど
一つだけ確かなことがあって 私が年を重ねていくと 両親も年を重ねているということ
なぜ 両親のもとに 私が生まれてきて かかわってきたのか
最初は 全然わからなかったけど
今だから わかることが 本当に増えてきました
どんな家族にも 一緒に出会う意味があって
いろいろな形で 磨き合っている
それは 本当に いろいろな磨き方があって いつか その意味がわかるのかもしれない
私の父は 良く人に話すのだけど 仙人のような人で
あまりに 平穏な人柄に 思春期の時などは 「人間っぽくなくて変」とか たてをついていました
その良さや 尊さは その時 わからなかったのだけど
けっこう 私も似たようなところがあって この親のもとに生まれてきた理由の意味があったのかもしれないと思うようになりました
そして 母は とても現実的で 地に足をつけて生きることの大切さを
本当に しっかりと 伝え切った女性でした
母は 私の良いところも多分知ったうえで
さらに 大切なこととして 現実を生きることを 伝えたかったのでしょう
仙人のような父と 現実をしっかり生きる母の間で
私は いいとこどりをしようと 途中で思うようになりました
つまり 王道を生きる 険しい山道を楽しんでみんなと生きる
一人勝ちとかは全く興味がないし 魂を悪魔に売るようなことだけはしたくない
ただの 良い人で終わるのも 興味はなく
作品も いい子になりすぎないようにしたい想いがいつもありました
そんなことを ずっとずっと思いながら 生きてきたら
人生が 私の思った方向に進んでいるのがわかりました
生まれおちた時から 毎日の生活での対話が 私を形作ってきたこと
1日1日が とても大切な時間だったということ
人生は 両親や 友達や 仕事や 仲間によって 川の流れのように進んでいること
なかなか この 人生の流れすべてを見ることはできないけど
人生は まるで自分の想いを流れている川なのだと思いました
自分の想いが 人生と言う川をつくっている
私は 少し 今 河原に座って 自分の川の流れをながめられるようになりました
清流のようなイメージ アユも棲めるイメージ
でも 水は シャキッとするような凛とした冷たさがあり いつも私の目をさましてくれる
両親が 私の川を見ることができるといいのに
年老いた両親に 毎日感謝する習慣もやっとつき
遅かったかなと思いながらも
できるだけ 良い仕事をして 喜んでもらいたいなと思う日々
感謝の想いだけでも 人は生きていけるのだと 最近知りました
まず 両親に感謝をしてもしきれない気持ち
本当に 遅いけど 今気づいています
今日も ありがとうを言ってから はじめたいとおもいます